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※22852 第一次ブルガリア帝国の皇帝も、元々は中央アジア系から北東アジアの王位に見られるハン、ハーン(王)を称していた(ブルガール人はモンゴロイドのテュルク系だった為) 古代ローマ帝国の血縁とは無縁だったりします 上にあるように、皇帝は世襲出来るよ程度のもので、即位は権威による推戴によるものです ブルガリア地方のハン(王)、シメオン1世は東ローマ帝国と戦争(ブルガリア・東ローマ戦争の一つ)をし戦勝し、東ローマ帝国に貢納金を納めさせていました 最初の内は、東ローマ帝国から貢納金が納められていましたが、後に東ローマ帝国は貢納金の支払いを拒否します チンピラ、シメオン1世は貢納金を拒否されたので、東ローマ帝国に攻め込み首都を包囲し交渉をしますが、相手(東ローマ帝国の皇帝)が年少者だったのを良いことに、交渉を担っていた、摂政評議会のニコラオス1世(総主教)に、自分の娘を東ローマ帝国の皇帝に嫁がせることを飲ませます その後、シメオン1世はコンスタンティノープルに入城し、コンスタンディヌーポリ総主教ニコラオス1世から、皇帝として戴冠されます ただし、東ローマ帝国はシメオン1世による包囲が解かれた直後にクーデターでニコラオス1世を罷免します 上記の成り行きを知っていた皇后(カルボノプシナ)はシメオン1世の戴冠を取り消し言い訳を並べます シメオン1世については、あくまでブルガリア皇帝として認めただけだよ(チラッ 、東ローマ帝国の皇帝位に推戴した訳ではないよ、だって皇帝の冠を戴冠させた訳ではなく、典礼用の冠使っただけですしおすし(シドロモドロ とか苦しい言い訳をしてたりします) シメオン1世はそんな事を知ってか知らずか <丶`∀´> ウリはブルガリア人と(東)ローマ人の皇帝スミダ とか言ってたりします 間もなく、体制を立て直した東ローマ帝国はブルガリア帝国と再び戦争することになります まぁ、権威による推戴と言うのが皇帝即位の慣例的な基本であって、世襲はおまけみたいなものなので、古代ローマ皇帝の血縁ガーとかは、欧州の皇帝の即位にあまり関係なかったりします ただし、世襲による即位が慣例的に認められてきたので、血縁を強調しようとするのは保険や権威付けの広報みたいなものなのです
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