- 1: 名無しさん 2014/03/31(月)14:38:35 ID:9Hs0TMssT
福岡で生活しつつ、カンパの資金で月1で上京して「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を送り始めたタモリだったが、同年夏、面白い事をやっている人間がいるという噂を聞きつけた、赤塚不二夫がタモリの元を訪れる。
赤塚は、タモリの即興芸に心酔し、8月末に生放送が決定していた自らの特別番組にタモリを出演させる事を決意。放送までまだかなり日数があったため、タモリは福岡に帰ることを望んでいたが、「タモリの芸をもっと見たい、福岡に帰したくない」と考えた赤塚は、常人ではありえない発想でタモリを引き止めた。
1975年当時、赤塚は4LDKのマンションに住み[10]、ベンツのスポーツタイプなどを保有する売れっ子漫画家だったが、それら全てを自由に使っていいからと東京に残ってくれとタモリに懇願。タモリはこれを了承し、赤塚宅での居候生活が始まる(タモリや赤塚らは「居候」と言っているが、実質的には居候ではなく「生活スペースの交換」)。赤塚宅に住み始めたタモリは、「ジャックの豆の木」を始めとした飲み屋で赤塚や山下らと馬鹿騒ぎする日々を送り、赤塚からは月に20~30万円の小遣いが渡されるという破格の居候生活を送った。
なお、生活スペースをタモリに譲ることになった赤塚は、仕事場のロッカーを倒し、それに布団を敷いて寝場所を確保するなど、侘しい生活を送った。赤塚が着る服がなくなりやむなく「赤塚宅」に一時帰宅した際に、探していた服をタモリが着ていたという笑い話がある。タモリが考える居候の秘訣は、「卑屈になるな」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%BF%E3%A2%E3%AA
- 2: 名無しさん 2014/03/31(月)14:43:13 ID:zf5sLWjKc
- 3: 名無しさん 2014/03/31(月)14:48:05 ID:MsO61OH0r
- >>2
すげえなこれ
- 4: 名無しさん 2014/03/31(月)14:49:48 ID:Z4kaoe4vv
- 白紙だったらしい
- 5: 名無しさん 2014/03/31(月)14:50:34 ID:MsO61OH0r
- >>4
マジか…
引用元: ・タモリと赤塚不二夫の師弟関係クソワロタwwwwwwwwwwwwwwww
赤塚の愛した即興芸で弔辞を読み上げた訳だ
最高の弔辞だったんだな。